男ごゝろ
永井荷風

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)浴衣《ゆかた》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)御一泊|御一人《おひとり》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)われ/\
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 大方帳場の柱に掛けてある古時計であらう。間の抜けた力のない音でボンボンと鳴り出すのを聞きつけ、友田は寐てゐる夜具の中から手を伸して枕元の懐中時計を引寄せながら、
「民子さん。あれア九時でせう。まだいゝんですか。」と抱寐した女の横顔に頤を載せた。
「あら。もうそんな時間。」と言つたが、女も男と同じやうに着るものもなく寐てゐたので、夜具の上に膝を揃へて起き直りながら、
「浴衣《ゆかた》どこへやつたらう。これぢや廊下へも憚《はゞか》りへも行けませんよ。」
「かまふもんですか。廊下にや誰もゐやしません。」
「でも、あなた。話声がするわ。お客さまぢや無いか知ら。」
「われ/\と同じやうな連中でせう。」
「憚りも二階でしたわね。」
「洗面所の突当りでせう。構ふもんですか。」
「でも、これぢやアあんまりですわ。」
 女は夜具の側《わき》にぬぎ捨てた旅館の浴衣を身にまとひながら、障子をあけて廊下へ出た。
 男は枕元の銀時計を見直しながら、夜具の上に起直つて手近にぬぎ捨てゝあるメリヤスとワイシヤツを引寄せる。
 洗面所の水の音が止つて、男がワイシヤツの片袖に手を入れかけた時、縮髪《ちゞらしがみ》を両手で撫でながら女が戻つて来た。
「時間の立つのは全く早いですね。」
「ほんとうねえ。会社を出た時は五時打つたばかりでしたわね。」
「誰もまだ気がつきはしないでせうな。知れるとまづいですからね。」
「注意に注意してるから大丈夫だと思ひますわ。誰しも若い中は仕方がありませんわ。活きてゐるんですもの。ねえ、あなた。」と女は両足を投出し丸めた靴足袋《くつした》を取上げながら、「公然結婚の約束をしてしまへば誰が何と言はうと構ふことは無いんですからね、わたし、ほんとに早くさうなりたいと思ひますよ。ねえ。あなた。」
 男は何も言はず、片足を立てゝ靴足袋をはく女の様子を眺めながら、静にシヤツの襟のネクタイを結び初めた。

 二人は西銀座裏の堀端。土端の近
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