のつじうら》」。伊藤橋塘《いとうけいたう》と云ふ人の書いた「花春時相政《はなのはるときにあひまさ》」といふ侠客伝《けふかくでん》もある。「高橋《たかはし》お伝《でん》」や「夜嵐《よあらし》お絹《きぬ》」のやうな流行の毒婦伝もある。「明治芸人鑑《めいぢげいにんかがみ》」と題して俳優|音曲《おんぎよく》落語家の人名を等級別に書分《かきわ》けたもの、又は、「新橋芸妓評判記《しんばしげいしやひやうばんき》」「東京粋書《とうきやうすゐしよ》」「新橋花譜《しんばしくわふ》」なぞ名付《なづ》けた小冊子もある。
此等《これら》の書籍はいづれも水野越州《みづのえつしう》以来久しく圧迫されてゐた江戸芸術の花が、維新の革命後、如何に目覚《めざま》しく返咲《かへりざ》きしたかを示すものである。芝居と音曲《おんぎよく》と花柳界とは江戸芸術の生命である。仮名垣魯文《かながきろぶん》が「いろは新聞」の全紙面を花柳通信に費したのも怪しむに足りない。芝居道楽といふディレツタントの劇評家が六二連《ろくにれん》を組織して各座の劇評を単行本として出版したのも不思議ではない。二世国貞《にせくにさだ》、国周《くにちか》、芳幾《
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