に萎縮しつゝある思想界の現状に鑑《かんが》みて、転《うた》た夢の如き感があると云つてもいゝ。然し自分は断つて置く。自分はなにも現時の社会に対して経世家的憤慨を漏《もら》さうとするのではない。時勢がよければ自分は都の花園に出て、時勢と共に喜び楽しむ代り、時勢がわるければ黙つて退いて、象牙の塔に身を隠し、自分一個の空想と憧憬《しようけい》とが導いて行く好き勝手な夢の国に、自分の心を逍遥させるまでの事である。
寧ろかう云ふ理由から、自分は今|正《まさ》に、自分が此の世に生れ落ちた頃の時代の中《うち》に、せめて虫干の日の半日|一時《いつとき》なりと、心静かに遊んで見や[#「や」に「ママ」の注記]うと急《あせ》つてゐる最中なのである。
大方《おほかた》母上が若い時に着た衣装であらう。撫子《なでしこ》の裾模様をば肉筆で描《か》いた紗《しや》の帷子《かたびら》が一枚風にゆられながら下つてゐる辺《あた》りの縁先に、自分は明治の初年に出版された草双紙の種類を沢山に見付け出した。古河黙阿弥《ふるかはもくあみ》の著述に大蘇芳年《たいそよしとし》の絵を挿入《さしい》れた「霜夜鐘十時辻占《しもよのかねじふじ
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