文明開化」と云ふ通り言葉は如何なる強い力を以て国民を支配したであらう。「新繁昌記」の著者が牛肉を讃美して、「牛肉《ギウニク》ノ人《ヒト》ニ於《オ》ケルヤ開化之薬舗《カイクワノヤクホ》ニシテ而《シカ》シテ文明《ブンメイ》ノ良剤《リヤウザイ》也《ナリ》」と言ひ、京橋に建てられた煉瓦石《れんぐわせき》の家を見ては、「此《コ》ノ築造《チクザウ》有《ア》ルハ都下《トカ》ノ繁昌《ハンジヤウ》ヲ増《マ》シテ人民《ジンミン》ノ知識《チシキ》ヲ開《ヒラ》ク所以《ユエン》ノ器械《キカイ》也《ナリ》」と叫んだ如きわざと誇張的に滑稽的に戯作の才筆を揮つたばかりではなからう。今日の時代から振返つて見れば、無論此の時代の「文明開化」には如何にも子供らしく馬鹿馬鹿しい事が多い。けれども時代一般の空気が如何にも生々《いき/\》として、多少進取の気運に伴《ともな》つて奢侈逸楽等の弊害欠点の生じて来る事に対しても、世間は多くの杞憂《きいう》を抱《いだ》かず、清濁併せ呑む勢を以て大胆に猛進して行つた有様はいかにも心持よく感じられる。これを四十四年後に於ける今日《こんにち》の時勢に比較すると、吾々は殊にミリタリズムの暴圧の下
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