ヘ、他人種の芸術に類例を見ざる特徴であつて、所謂《いはゆる》「殺しの場」として黙阿弥劇中興味の大部分を占めてゐる事は、今更らしく論じ出すにも及ぶまい。
毒婦と盗人《ぬすびと》と人殺しと道行《みちゆき》とを仕組んだ黙阿弥劇は、丁度|羅馬《ロオマ》末代《まつだい》の貴族が猛獣と人間の格闘を見て喜んだやうに、尋常平凡の事件には興味を感ずる事の出来なくなつた鎖国の文明人が、仕度三昧《したいざんまい》の贅沢の揚句に案出した極端な凡ての娯楽的芸術を最も能く総括的に代表したものである。即ちあらゆる江戸文明の究極点は、此の劇的綜合芸術中に集注されてゐるのである。講談に於ける「怪談」の戦慄、人情本から味《あぢは》はれべき「濡《ぬ》れ場《ば》」の肉感的衝動の如き、悉《ことごと》く此れを黙阿弥劇の中《うち》に求むる事が出来る。三味線音楽が亦《また》この劇中に於て、如何に複雑に且つ効果鋭く応用されてゐるかは、已に自分が其の折々の劇評に論じた処である。「殺しの場」のやうな血腥《ちなまぐさ》き場面が、屡《しばしば》その伴奏音楽として用ひられる独吟と、如何に不思議なる詩的調和を示せるかを聞け。
以上は黙阿弥劇
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