齡ハをして己の名を歌はしむる為に人を殺す事がある。悪人の虚栄心は文学者や婦人のそれよりも更に甚《はなはだ》しい事を記載し、「殺人者の酔《ゑひ》」と題するボオドレエルの

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乃公《おれ》の女房《にようぼ》はもう死んだ。
乃公《おれ》は気随気儘の身になつた。
一文なしで帰つて来ても、
ガア/\喚《わめ》く嚊《かか》アがくたばつて、
乃公《おれ》は気楽にたらふく呑める。
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と云ふ詩なぞを掲《かか》げてゐるが、此れ等は何処となく、黙阿弥劇中に散見する台詞《せりふ》「今宵《こよひ》の事を知つたのは、お月様と乃公《おれ》ばかり。」また、「人間わづか五十年、一人殺すも千人殺すも、とられる首はたつた一ツ、とても悪事を仕出《しだ》したからは、これから夜盗、家尻切《やじりき》り……。」の如きを思ひ出させるではないか。
 ボオドレエルを始め西洋のデカダンスには必ず神秘的宗教的色彩が強く、また死に対する恐しい幻覚が現はれてゐるが、此れ等は初めから諦めのいゝ人種だけに、江戸思想中には皆無《かいむ》である。其の代《かはり》に残忍|極《きはま》る殺戮《さつりく》の描写
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