ノ現はれたロマンチックの半面であるが、其の写実的半面は狂言の本筋に関係のない仕出しの台詞《せりふ》や、其の折々の流行の洒落《しやれ》、又は狂言全体の時代と類型的人物の境遇等に於て窺ひ知られるのである。維新後零落した旗本の家庭、親の為めに身を売る娘、新しい法律を楯にして悪事を働く代言人、暴悪な高利貸、傲慢な官吏、淫鄙な権妻《ごんさい》、狡獪《かうくわい》な髪結《かみゆひ》等いづれも生々《いきいき》とした新しい興味を以て写し出されてゐる。黙阿弥の著作は幕末から維新以後に於ける東京下層社会の生活を研究するに最も適当な資料であらう。本所《ほんじよ》深川《ふかがは》浅草辺《あさくさへん》の路地裏には今もつて三四十年|前《まへ》黙阿弥劇に見るまゝの陰惨不潔無智なる生活が残存《ざんぞん》して居る。
 虫干の縁先には尚《なほ》いろ/\の面白いものがあつた。大川筋《おおかはすぢ》の料理屋の変遷を知るに足るべき「開化三十六会席《かいくわさんじふろくくわいせき》」と題した芳幾《よしいく》の綿絵には、当時名を知られた芸者の姿を中心にして河筋の景色が描《ゑが》かれてある。自分は春信《はるのぶ》や歌麿《うたまろ》
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