とを問はず、江戸的デカダンス思想の最後の究極点を示してゐる事を面白く思ふのである。
 江戸文明の爛熟は久しく傾城《けいせい》遊君《けいせい》の如き病的婦人美を賞讃し尽した結果、其不健全なる芸術の趣味の赴く処は是非にも毒婦と称するが如き特種なる暗黒の人物を造出《つくりだ》さねば止《や》まなかつた。自分は当時の世間《よのなか》に事実全身に刺青《ほりもの》をなし万引《まんびき》をして歩いたやうな毒婦が幾人《いくたり》あつたにしても、其れをば矢張《やはり》一種の芸術的現象と見倣《みな》してしまふ。何故《なぜ》なれば此《この》当時の世の中には芝居が人心を支配した勢力と、芝居が実社会から捉へて来たモデルとの密接な関係が、殆ど或場合には引放す事の出来ない程混同錯乱してゐるからである。黙阿弥の劇中に見られるやうな毒婦は近松にも西鶴にも春水《しゆんすゐ》にも見出《みいだ》されない。馬琴《ばきん》に至つて初めて「船虫《ふなむし》」を発見し得るが、講談としては已に鬼神《きじん》お松《まつ》其他《そのた》に多くの類例を挙げ得るであらう。黙阿弥は其の以前と其の時代とに云伝へられた毒婦を一括して此れに特種の典型を
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