語つて聞《きか》せる。古い蔵書のさま/″\な種類は、其の折々の自分の趣味思想によつて、自分の家《うち》にもこんな面白いものがあつたのかと、忘れてゐた自分の眼を驚かす。
近頃になつて父が頻《しきり》と買込まれる支那や朝鮮の珍本は、自分の趣味知識とは余りに懸隔が烈し過ぎる。古い英語の経済学や万国史はさして珍しくもない。今年の虫干の昼過ぎ、一番自分の眼を驚かし喜ばしたものは、明治初年の頃に出版された草双紙や綿絵や又は漢文体の雑書であつた。
明治《めいぢ》初年の出版物は自分が此の世に生れ落ちた当時の人情世態を語る尊い記録《ドキユウマン》である。自分の身の上ばかりではない。自分を生んだ頃の父と母との若い華やかな時代をも語るものである。苔と落葉と土とに埋《うづも》れてしまつた古い石碑の面《おもて》を恐る/\洗ひ清めながら、磨滅した文字《もんじ》の一ツ一ツを捜《さぐ》り出して行くやうな心持で、自分は先づ第一に、「東京新繁昌記《とうきやうしんはんじやうき》」と言ふ漢文体の書籍を拾ひ読みした。
今日《こんにち》では最早《もは》やかう云ふ文章を書くものは一人《いちにん》もあるまい。「東京新繁昌記」は
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