蟲の聲
永井荷風
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)門《かど》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)或日|驟雨《ゆふだち》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「虫+廷」、第4水準2−87−52]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)はら/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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東京の町に生れて、そして幾十年といふ長い月日をこゝに送つた………。
今日まで日々の生活について、何のめづらしさをも懷しさをも感じさせなかつた物の音や物の色が、月日の過ぎゆくうちにいつともなく一ツ一ツ消去つて、遂に二度とふたゝび見ることも聞くこともできないと云ふことが、はつきり意識せられる時が來る。すると、こゝに初めて綿々として盡きない情緒が湧起つて來る――別れて後むかしの戀を思返すやうな心持である。
ふけそめる夏の夜に橋板を踏む下駄の音。油紙で張つた雨傘に門《かど》の時雨《しぐれ》のはら/\と降りかゝる響
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