。夕月をかすめて啼過る雁の聲。短夜の夢にふと聞く時鳥《ほとゝぎす》の聲。雨の夕方渡場の船を呼ぶ人の聲。夜網を投込む水音。荷船の舵の響。それ等の音響とそれに伴ふ情景とが吾々の記憶から跡方もなく消え去つてから、歳月は既に何十年過ぎてゐるであらう。
季節のかはり行くごとに、その季節に必要な品物を賣りに來た行商人の聲が、東京といふ此都會の生活に固有の情趣を帶びさせたのも、今は老朽ちた人々の語草に殘されてゐるばかりである。
時代は過ぎ思想は代り風俗は一變してしまつた今日、この都會に生れ、この都會に老行くものどもが、これから先、その死に至る時まで、むかしに變らぬ情趣を味ひ得るものをさがし求めたなら、果して能く何を得るのであらう。
樹木の多い郊外の庭にも、鶯はもう稀に來て鳴くのみである。雀の軒近く囀るのを喧《かしま》しく思ふやうな日も一日一日と少くなつて行くではないか。わたくしは何の爲に突然こんな事を書きはじめたのか。それは梵鐘の聲さへ二三年前から聞き得なくなつた事を、ふと思返して、一年は一年より更に烈しく、わたくしは蝉と蟋蟀《こほろぎ》の庭に鳴くのを待ちわびるやうになつた。――何故に待ちわび
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