の名手として迎えらるべき芸人の花形は朱塗《しゅぬり》の観音堂を見たことのないものばかりになるのである。時代は水の流れるように断え間なく変って行く。人はその生命の終らぬ中《うち》から早く忘れられて行く。その事に思い至れば、生もまたその淋しい事において、甚しく死と変りがないのであろう。

        ○

 オペラ館の楽屋口に久しく風呂番《ふろばん》をしていた爺さんがいた。三月九日の夜に死んだか、無事であったか、その後興行町の話が出ても、誰一人この風呂番の事を口にするものがない。彼の存在は既に生きている時から誰にも認められていなかったのだ。
 その時分、踊子たちの話によると、家もあった、おかみさんもあった。家は馬道《うまみち》辺で二階を人に貸して家賃の足しにしていた。おかみさんはまだ婆さんというほどではなく、案外|垢抜《あかぬ》けのした小柄の女で、上野|広小路《ひろこうじ》にあった映画館の案内人をしているとの事であった。爺さんはいつでも手拭を後鉢巻《うしろはちまき》に結んでいるので、禿頭《はげあたま》か白髪頭《しらがあたま》か、それも楽屋中知るものはない。腰も曲ってはいなかったが、手足
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