て、郷愁に等しき哀愁を醸《かも》す。郷愁ほど情緒の美しきものはない。長くわたくしが巴里《パリー》の空を忘れ得ぬのもこの情緒のなすところであろう。
 巴里は再度兵乱に遭《あ》ったが依然として恙《つつが》なく存在している。春ともなればリラの花も薫《かお》るであろう。しかしわが東京、わが生れた孤島の都市は全く滅びて灰となった。郷愁は在《あ》るものを思慕する情をいうのである。再び見るべからざるものを見ようとする心は、これを名づけてそも何と言うべき歟《か》。
[#地から2字上げ]昭和廿一年十月草



底本:「荷風随筆集(下)」岩波文庫、岩波書店
   1986(昭和61)年11月17日第1刷発行
   2007(平成19)年7月13日第23刷発行
底本の親本:「荷風随筆 一〜五」岩波書店
   1981(昭和56)年11月〜1982(昭和57)年3月
入力:門田裕志
校正:阿部哲也
2010年3月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さ
前へ 次へ
全15ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
永井 荷風 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング