って一年あまり、毎夜市中諸処の寄席《よせ》に通っていた事があった。その年正月の下半月《しもはんつき》、師匠の取席《とりせき》になったのは、深川高橋の近くにあった、常磐町《ときわちょう》の常磐亭であった。
毎日午後に、下谷御徒町《したやおかちまち》にいた師匠むらくの家に行き、何やかやと、その家の用事を手つだい、おそくも四時過には寄席の楽屋に行っていなければならない。その刻限になると、前座《ぜんざ》の坊主が楽屋に来るが否や、どこどんどんと楽屋の太鼓《たいこ》を叩きはじめる。表口では下足番《げそくばん》の男がその前から通りがかりの人を見て、入《い》らっしゃい、入らっしゃいと、腹の中から押出すような太い声を出して呼びかけている。わたくしは帳場《ちょうば》から火種を貰って来て、楽屋と高座の火鉢に炭火をおこして、出勤する芸人の一人一人楽屋入するのを待つのであった。
下谷から深川までの間に、その頃乗るものといっては、柳原を通う赤馬車と、大川筋の一銭蒸汽があったばかり。正月は一年中で日の最も短い寒《かん》の中《うち》の事で、両国から船に乗り新大橋で上り、六間堀《ろっけんぼり》の横町へ来かかる頃には
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