る。
日は必ず沈み、日は必ず尽きる。死はやがて晩《おそ》かれ早かれ来ねばならぬ。
生きている中《うち》、わたくしの身に懐《なつか》しかったものはさびしさであった。さびしさのあったばかりにわたくしの生涯には薄いながらにも色彩があった。死んだなら、死んでから後にも薄いながらに、わたくしは色彩がほしい。そう思うと、生きていた時、その時、その場の恋をした女たち、わかれた後忘れてしまった女たちに、また逢うことの出来るのは瞑《くら》いあの世のさむしい河のほとりであるような気がしてくる。
ああ、わたくしは死んでから後までも、生きていた時のように、逢えば別れる、わかれのさびしさに泣かねばならぬ人なのであろう……。
○
薬研堀《やげんぼり》がまだそのまま昔の江戸絵図にかいてあるように、両国橋の川しも、旧米沢町《もとよねざわちょう》の河岸まで通じていた時分である。東京名物の一銭蒸汽の桟橋につらなって、浦安《うらやす》通いの大きな外輪《そとわ》の汽船が、時には二|艘《そう》も三艘も、別の桟橋につながれていた時分の事である。
わたくしは朝寐坊むらくという噺家《はなしか》の弟子にな
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