が、今は石炭を積んだ荷船《にぶね》が幾艘《いくそう》となく繋《つなが》れているばかり、橋向《はしむこう》にある昔ながらの白鬚神社や水神《すいじん》の祠《ほこら》の眺望までを何やら興味のないものにしているのも無理はない。向嶋の堤防はこの辺までも平に地ならしされて、同じように自働車やトラックの疾走する処にしている。百花園《ひゃっかえん》は白鬚神社の背後にあるが、貧し気な裏町の小道を辿って、わざわざ見に行くにも及ばぬであろう。むかし土手の下にささやかな門をひかえた長命寺《ちょうめいじ》の堂宇も今はセメント造《づくり》の小家《こいえ》となり、境内の石碑は一ツ残らず取除かれてしまい、牛《うし》の御前《ごぜん》の社殿は言問橋《ことといばし》の袂に移されて人の目にはつかない。かくの如く向嶋の土手とその下にあった建物や人家が取払われて、その跡が現在見るような、向嶋公園と呼ばれる平坦な空地になったのだ。これは荒川の河流が放水路の開通と共に、如何に険悪な天侯にも決して汎濫《はんらん》する恐れがなくなったためかとも思われる。吉原の遊廓外《くるわそと》にあった日本堤《にほんづつみ》の取崩されて平かな道路になっ
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