山の岡の下には一条《ひとすじ》の細い町があって両側に並んでいる店付の質素な商店の中には、今戸焼の陶器や川魚の佃煮《つくだに》を売る店があって、この辺一帯の町を如何にも名所らしく思わせていたが、今はセメントで固めた広い道路となってトラックが砂烟《すなけむり》を立てて走っている。また今戸橋の向岸には慶養寺《けいようじ》という古寺があってここにも樹木が生茂《おいしげ》っていたが、今はもう見られないので、震災前のむかしを知らない人たちには何の趣もない場末の道路としか見られないようになったのも尤《もっとも》である。平坦な道路は山谷堀の流に沿うて吉原の土手をも同じような道路にしたのみならずその辺に残っていた寺々をも大抵残るものなく取払ってしまった。むかしからの伝説は全く消滅して残る処は一ツもない。
今戸橋をわたると広い道路は二筋に分れ、一ツは吉野橋をわたって南千住《みなみせんじゅ》に通じ、一ツは白鬚橋の袂《たもと》に通じているが、ここに瓦斯《ガス》タンクが立っていて散歩の興味はますますなくなるが、むかしは神明神社の境内《けいだい》で梅林もあり、水際には古雅な形の石燈籠《いしどうろう》が立っていた
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