なが》るゝ裏町は大雨《たいう》の降る折《をり》と云へば必《かなら》ず雨潦《うれう》の氾濫に災害を被《かうむ》る処である。溝川が貧民窟に調和する光景の中《うち》、其の最も悲惨なる一例を挙げれば麻布《あざぶ》の古川橋《ふるかはばし》から三之橋《さんのはし》に至る間《あひだ》の川筋であらう。ぶりき板の破片や腐つた屋根板で葺《ふ》いたあばら[#「あばら」に傍点]家《や》は数町に渡つて、左右《さいう》から濁水《だくすゐ》を挟《さしはさ》んで互にその傾いた廂《ひさし》を向ひ合せてゐる。春秋《はるあき》時候の変り目に降りつゞく大雨《たいう》の度毎《たびごと》に、芝《しば》と麻布《あざぶ》の高台から滝のやうに落ちて来る濁水は忽ち両岸《りやうがん》に氾濫して、あばら家《や》の腐つた土台から軈《やが》ては破れた畳《たゝみ》までを浸《ひた》してしまふ。雨が霽《は》れると水に濡れた家具や夜具《やぐ》蒲団《ふとん》を初め、何とも知れぬ汚《きたな》らしい襤褸《ぼろ》の数々は旗か幟《のぼり》のやうに両岸《りやうがん》の屋根や窓の上に曝《さら》し出される。そして真黒な裸体《らたい》の男や、腰巻一つの汚《きたな》い女房
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