震災後はどうなったであろうと、ふと思出すがまま、これを尋ねて見たことがあった。
 清洲橋をわたった南側には、浅野セメントの製造場が依然として震災の後もむかしに変らず、かの恐しい建物と煙突とを聳《そびや》かしているが、これとは反対の方向に歩みを運ぶと、窓のない平《ひらた》い倉庫の立ちつづく間に、一条《ひとすじ》の小道が曲り込んでいて、洋服に草履《ぞうり》をはいた番人が巻煙草を吸いながら歩いている外には殆ど人通りがなく、屋根にあつまる鳩の声が俄《にわか》に耳につく。
 この静な道を行くこと一、二|町《ちょう》、すぐさま万年橋をわたると、河岸《かし》の北側には大川へ突き出たところまで、同じような平たい倉庫と、貧しげな人家が立ちならび、川の眺望を遮断しているので、狭苦しい道はいよいよせまくなったように思われてくる。わたくしはこの湫路《しゅうろ》の傍《かたわら》に芭蕉庵の址《あと》は神社となって保存せられ、柾木稲荷の祠《ほこら》はその筋向いに新しい石の華表《とりい》をそびやかしているのを見て、東京の生活はいかにいそがしくなっても、まだまだ伝統的な好事家《こうずか》の跡を絶つまでには至らないのかと
前へ 次へ
全18ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
永井 荷風 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング