。癪《しゃく》に障《さわ》って忌々《いまいま》しいが叱り飛す張合もない。災難だと諦めた。乗り合わした他の連中は頻に私に同情して、娘とその伴《つれ》の図々しい間抜な態度を罵《ののし》った。飛沫《とばっちり》を受けたので、眉を顰《ひそ》めながら膝を拭いている婆さんや、足袋《たび》の先を汚された職人もいたが、一番迷惑したのは私であった。黒江《くろえ》町で電車を下りると、二人に逢った。今これこれだと阿久に話すと、人に歩かせて、自分は楽をしたものだから、その罰だと笑いながらも、汚れた羽織《はおり》の仕末には困った顔をした。幸いとお神さんの亭主の妹の家が八幡様《はちまんさま》の前だというので、そこへ行って羽織だけ摘《つま》み洗いをしてもらうことにして、その間寒さを堪えて公園の中で待っていた。芝居へ入って前の方の平土間《ひらどま》へ陣取る。出方《でかた》は新次郎と言って、阿久の懇意な男であった。一番目は「酒井の太鼓」で、栄升の左衛門、雷蔵の善三郎と家康、蝶昇の茶坊主と馬場、高麗三郎の鳥居、芝三松の梅ヶ枝などが重立《おもだ》ったものであった。道具の汚いのと、役者の絶句と、演芸中に舞台裏で大道具の釘を打
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