つ音が台辞《せりふ》を邪魔することなぞは、他では余り見受けない景物である。寒い芝居小屋だ。それに土間で小児の泣く声と、立ち歩くのを叱る出方の尖《とが》り声とが耳障りになる。中幕の河庄では、芝三松の小春、雷蔵の治兵衛、高麗三郎の孫右衛門、栄升の太兵衛に蝶昇の善六。二番目は「河内山」で蝶昇が勤めた。雷蔵の松江侯と三千歳、高麗三郎の直侍《なおざむらい》などで、清元《きよもと》の出語りは若い女で、これは馬鹿に拙《まず》い。延久代という名取名《なとりな》を貰っている阿久は一々節廻しを貶《けな》した。捕物の場で打出し。お神さんの持って来た幸寿司で何も取らず、会計は祝儀を合せて二円二十三銭也。芝居の前でお神さんに別れて帰りに阿久と二人で蕎麦屋《そばや》へ入った。歩いて東森下町の家まで帰った時が恰度《ちょうど》夜の十二時。
[#ここで字下げ終わり]
 かつて深川座のあった処は、震災後道路が一変しているので、今は活動館のあるあたりか、あるいは公設市場のあるあたりであるのか、たまたま散歩するわたくしには判然しない。
 むかしの黒江橋《くろえばし》は今の黒亀橋《くろかめばし》のあるあたりであろう。即ちむかし
前へ 次へ
全18ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
永井 荷風 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング