びかりのする神秘な夜の空に、宵《よい》の明星《みょうじょう》のかげが、たった一ツさびし気《げ》に浮いているのが見える。枯れた樹の梢に三日月のかかっているのを見ることもある。
 やがて日の長くなることが、やや際立《きわだ》って知られる暮れがた。昼は既に尽きながら、まだ夜にはなりきらない頃、読むことにも書くことにも倦《う》み果てて、これから燈火《あかり》のつく夜になっても、何をしようという目当も楽しみもないというような時、ふと耳にする鐘の音《ね》は、机に頬杖をつく肱《ひじ》のしびれにさえ心付かぬほど、埒《らち》もないむかしの思出に人をいざなうことがある。死んだ友達の遺著など、あわてて取出し、夜のふけわたるまで読み耽けるのも、こんな時である。
 若葉の茂りに庭のみならず、家の窓もまた薄暗く、殊に糠雨《ぬかあめ》の雫《しずく》が葉末から音もなく滴《したた》る昼過ぎ。いつもより一層遠く柔に聞えて来る鐘の声は、鈴木春信《すずきはるのぶ》の古き版画の色と線とから感じられるような、疲労と倦怠とを思わせるが、これに反して秋も末近く、一宵《ひとよさ》ごとにその力を増すような西風に、とぎれて聞える鐘の声は屈
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