れを知らない。
わたくしは今の家にはもう二十年近く住んでいる。始めて引越して来たころには、近処の崖下《がけした》には、茅葺《かやぶき》屋根の家が残っていて、昼中《ひるなか》も※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《にわとり》が鳴いていたほどであったから、鐘の音《ね》も今日よりは、もっと度々聞えていたはずである。しかしいくら思返して見ても、その時分鐘の音に耳をすませて、物思いに耽《ふけ》ったような記憶がない。十年前には鐘の音に耳を澄ますほど、老込《ふけこ》んでしまわなかった故でもあろう。
然《しか》るに震災の後《のち》、いつからともなく鐘の音は、むかし覚えたことのない響を伝えて来るようになった。昨日《きのう》聞いた時のように、今日もまた聞きたいものと、それとなく心待ちに待ちかまえるような事さえあるようになって来たのである。
鐘は昼夜を問わず、時の来《きた》るごとに撞きだされるのは言うまでもない。しかし車の響、風の音、人の声、ラヂオ、飛行機、蓄音器、さまざまの物音に遮《さえぎ》られて、滅多《めった》にわたくしの耳には達しない。
わたくしの家は崖の上に立っている。裏窓から西北の方
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