鐘の声
永井荷風

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)麻布《あざぶ》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]
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 住みふるした麻布《あざぶ》の家《いえ》の二階には、どうかすると、鐘の声の聞えてくることがある。
 鐘の声は遠過ぎもせず、また近すぎもしない。何か物を考えている時でもそのために妨げ乱されるようなことはない。そのまま考に沈みながら、静に聴いていられる音色《ねいろ》である。また何事をも考えず、つかれてぼんやりしている時には、それがためになお更ぼんやり、夢でも見ているような心持になる。西洋の詩にいう揺籃《ゆりかご》の歌のような、心持のいい柔な響である。
 わたくしは響のわたって来る方向から推測して芝山内《しばさんない》の鐘だときめている。
 むかし芝の鐘は切通《きりどお》しにあったそうであるが、今はその処《ところ》には見えない。今の鐘は増上寺《ぞうじょうじ》の境内の、どの辺から撞き出されるのか。わたくしはこれを知らない。
 わたくしは今の家にはもう二十年近く住んでいる。始めて引越して来たころには、近処の崖下《がけした》には、茅葺《かやぶき》屋根の家が残っていて、昼中《ひるなか》も※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《にわとり》が鳴いていたほどであったから、鐘の音《ね》も今日よりは、もっと度々聞えていたはずである。しかしいくら思返して見ても、その時分鐘の音に耳をすませて、物思いに耽《ふけ》ったような記憶がない。十年前には鐘の音に耳を澄ますほど、老込《ふけこ》んでしまわなかった故でもあろう。
 然《しか》るに震災の後《のち》、いつからともなく鐘の音は、むかし覚えたことのない響を伝えて来るようになった。昨日《きのう》聞いた時のように、今日もまた聞きたいものと、それとなく心待ちに待ちかまえるような事さえあるようになって来たのである。
 鐘は昼夜を問わず、時の来《きた》るごとに撞きだされるのは言うまでもない。しかし車の響、風の音、人の声、ラヂオ、飛行機、蓄音器、さまざまの物音に遮《さえぎ》られて、滅多《めった》にわたくしの耳には達しない。
 わたくしの家は崖の上に立っている。裏窓から西北の方
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