原《くつげん》が『楚辞《そじ》』にもたとえたい。
 昭和七年の夏よりこの方《かた》、世のありさまの変るにつれて、鐘の声もまたわたくしには明治の世にはおぼえた事のない響を伝えるようになった。それは忍辱《にんにく》と諦悟《ていご》の道を説く静なささやきである。
 西行も、芭蕉も、ピエール・ロチも、ラフカヂオ・ハアンも、各《おのおの》その生涯の或時代において、この響、この声、この囁《ささや》きに、深く心を澄まし耳を傾けた。しかし歴史はいまだかつて、如何なる人の伝記についても、殷々《いんいん》たる鐘の声が奮闘勇躍の気勢を揚げさせたことを説いていない。時勢の変転して行く不可解の力は、天変地妖の力にも優っている。仏教の形式と、仏僧の生活とは既に変じて、芭蕉やハアン等が仏寺の鐘を聴いた時の如くではない。僧が夜半に起きて鐘をつく習慣さえ、いつまで昔のままにつづくものであろう。
 たまたま鐘の声を耳にする時、わたくしは何の理由もなく、むかしの人々と同じような心持で、鐘の声を聴く最後の一人ではないかというような心細い気がしてならない……。
[#地から2字上げ]昭和十一年三月



底本:「荷風随筆集(上)」岩波文庫、岩波書店
   1986(昭和61)年9月16日第1刷発行
   2006(平成18)年11月6日第27刷発行
底本の親本:「荷風随筆 一〜五」岩波書店
   1981(昭和56)年11月〜1982(昭和57)年3月
入力:門田裕志
校正:阿部哲也
2010年3月9日作成
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