》ともなりぬべし。支那の文学は『離騒《りそう》』を始めとして韓柳《かんりゅう》の文|李杜《りと》の詩に至るまで皆副業の産物なり。西洋の文学を見るもモリエールは旅役者なりけり。ウォルテール、シャトオブリアンの如き一代の文豪終生唯机にのみ向ひゐたる人にはあらず。
一 清《しん》の名家|袁随園《えんずいえん》が『詩話』巻《まきの》四に「詩ハ淡雅《たんが》ヲ貴《たっと》ブトイヘドモマタ郷野《きょうや》ノ気有ルベカラズ。古《いにしえ》ノ応劉鮑謝李杜韓蘇《おうりゅうほうしゃりとかんそ》皆官職アリ。村野《そんや》ノ人ニ非《あ》ラズ。ケダシ士君子《しくんし》万巻《ばんかん》ヲ読破スルモマタ須《すべか》ラク廟堂ニ登リ山川《さんせん》ヲ看《み》交《まじわり》ヲ海内《かいだい》名流ニ結ブベシ。然ル後|気局《ききょく》見解自然ニ濶大《かつだい》ス、良友ノ琢磨《たくま》ハ自然ニ精進《せいしん》ス。否《しから》ザレバ鳥啼《ちょうてい》虫吟《ちゅうぎん》沾沾《ちょうちょう》トシテ自《みずか》ラ喜ビ佳処《かしょ》アリトイヘドモ辺幅《へんぷく》固已《もと》ヨリ狭シ。人ニ郷党|自好《じこう》ノ士アリ。詩ニモマタ郷党自好ノ
前へ
次へ
全21ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
永井 荷風 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング