は叙景なり(対話は人物描写の一端と見るが故にここに言はず)小説中の叙景は常に人物と蜜接の関係を保たしむべし。その巧みなるものはかへつて直接に人物の説明をなすよりも効能ある事あり。アナトール・フランス作中しばしば見る処の学者の書斎庭園等の描写の如し。
一 叙景も外面の形より写さず内面より描く方法を取るべし。ハイカラに言へば絵画的たらんよりも音楽的たるべし。この処|即《すなわち》南画の筆法と見てよし。写生に出でて写生を離るる事なり。
一 写生を離れんと欲すればまづ写生に力《つと》むる事初学者の取るべき道なるべし。小説は万事に渉《わた》りて細心の注意を要するものなれば一人物を描かんとするや、まづその人物の活動すべき場面の中《うち》街路田園|等《とう》写生し得べき処は一応写生して置くがよし。筆にて記さずとも実地に観察して心に記憶すれば足るべし。或小説家|逗子《ずし》の海岸にて男女の相逢ふさまを描くや明月海の彼方《かなた》より浮び出で絵之島《えのしま》おぼろにかすみ渡りてなどと美しき景色をあしらひしに、読巧者《よみごうしゃ》の人これを見て逗子の地形東に山あり西に海ありその彼方より月の出《いづ》る
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