て来るものなり。
一 人物描写の法一個人の性格生涯をそのままモデルとなす事あり。甲乙丙丁数人の性格を取捨按排《しゅしゃあんばい》してここに特別の人物を作出《つくりだ》す事あり。別に定法《ていほう》なし。唯何事も内面より観察するを必要とす。外面より観察してこれを描写するは易《やす》く内面よりするは難《かた》し。ゾラの小説は人物の描写とかく外部よりする傾《かたむき》を憾《うら》みとす。フローベルが『マダム・ボワリー』。トルストイの『アンナ・カレニナ』。アナトール・フランスの『紅百合《べにゆり》』。オクターブ・ミルボーが『宣教師の叔父』。アンリイ・ド・レニエーが『貴族ブレオーの交遊』なぞいふ作は各《おのおの》作風を異《こと》にすといへどもいづれも主として内面より人物の描写に力《つと》めたる名著なり。
一 ここに人物を主とせざる小説にしてその価値前条述ぶる所のものに劣らざるものあり。即《すなわち》都市|山川《さんせん》寺院の如き非情のものを捉へ来りてこれに人物を配するが如き体《てい》を取れるものあるいは群集一団体の人間を主となしかへつて個人を次となせるが如きものあり。ローダンバックの『廃市ブリ
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