人のもとに至り教を乞ふべし。菓子折なぞは持参するに及ばず。唯草稿を丁寧に清書して教を乞ふ事礼儀の第一と心得べし。小説のことなれば悉《ことごと》く楷書《かいしょ》にて書くにも及ばじ、草行《そうぎょう》の書体を交《まじ》ふるも苦しからねど好加減《いいかげん》の崩《くず》し方《かた》は以ての外《ほか》なり。疑しき所は『草訣弁疑《そうけつべんぎ》』等の書について自《みずか》ら正せ。
一 小説は独創を尚《たっと》ぶものなれば他人の作を読みてそれより思ひつきたる事はまづ避くるがよし。おのれの経験より実地に感じたる事を小説にすべし。腹案成りて後他人の作を参考とするはさして害なからん。
一 小説の価値は篇中人物の描写|如何《いかん》によりて定まる。作者いかほど高遠の理想を抱きたりとて人物の描写|拙《つたな》ければ唯理論のみとなりて小説にはならず。人物の描写は筆先《ふでさき》の仕事にあらず実地の観察と空想の力とありて初めてなさるるものなり。
一 脚色の変化に重《おもき》を置き人物の描写を軽んずるものはいはゆる通俗小説にして小説の高尚なるものにあらず。人物の描写を骨子《こっし》とすれば脚色はおのづからでき
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