込なきものなり。柳里恭がいはゆる「爪先の向けやう」わるきものにして千里を行くものにあらず。
一 論より証拠は今日文壇の泰斗《たいと》と仰がるる人々を見よかし。森先生の弱冠にして『読売新聞』に投書せられしは今のいはゆる地方青年投書家の投書と同じからず。紅葉《こうよう》露伴《ろはん》樗牛《ちょぎゅう》逍遥《しょうよう》の諸家初めより一家の見識気品を持して文壇に臨《のぞ》みたり。紅葉門下の作者に至りても今名をなす人々皆然り。
一 学歴なんぞはどうでもよきものなれど今日の大学は明治中頃の尋常中学校位の程度のものになり下《さが》りたれば、まづ何事をなすにも学士もしくはそれに相応する教育を受けてより後《のち》の事なり。さるを学士の位を得たりとて安心するやうな人は話にならず。学問芸術はますます究《きわ》むるに従ひていよいよ疑を生ずるものなり。疑を抱かざる人はその道未だ進まざるものと見て誤《あやまり》なし。
一 おのれかつて井川滋《いかわしげる》君と『三田文学』を編輯せし頃青年無名の作家のその著作を公《おおやけ》にせん事を迫り来れるもの頻々《ひんぴん》応接に遑《いとま》あらざるほどなるに、一人《いちに
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