色《ねいろ》。何という果敢《はかな》い、消えも入りたき哀れを催させるのであろう。かつてそれほどに、まだ自己を知らなかった得意の時分に、先生は長たらしい小説を書いて、その一節に三味線と西洋音楽の比較論なぞを試みた事を思返す。世の中には古社寺《こしゃじ》保存の名目の下《もと》に、古社寺の建築を修繕するのではなく、かえってこれを破壊もしくは俗化する山師があるように、邦楽の改良進歩を企てて、かえって邦楽の真生命を殺してしまう熱心家のある事を考え出す。しかし先生はもうそれらをば余儀ない事であると諦めた。こんな事をいって三味線の議論をする事が、已に三味線のためにはこの上もない侮辱《ぶじょく》なのである。江戸音曲《えどおんぎょく》の江戸音曲たる所以《ゆえん》は時勢のために見る影なく踏みにじられて行く所にある。時勢と共に進歩して行く事の出来ない所にある。然《しか》も一思《ひとおも》いに潔《いさぎよ》く殺され滅されてしまうのではなく、新時代の色々な野心家の汚《きたな》らしい手にいじくり廻されて、散々|慰《なぐさ》まれ辱《はずか》しめられた揚句《あげく》、嬲《なぶ》り殺しにされてしまう傷《いたま》しい運命
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