R《あぜん》たらざるを得んや。しかして茲《ここ》に更に一層唖然たらざるを得ざるは新しき芸術新しき文学を唱《とな》うる若き近世人の立居振舞《たちいふるまい》であろう。彼らは口に伊太利亜《イタリヤ》復興期の美術を論じ、仏国近世の抒情詩を云々《うんぬん》して、芸術即ち生活、生活即ち美とまでいい做《な》しながらその言行の一致せざる事むしろ憐むべきものがある。看《み》よ。彼らは己れの容貌と体格とに調和すべき日常の衣服の品質|縞柄《しまがら》さえ、満足には撰択し得ないではないか。或者は代言人《だいげんにん》の玄関番の如く、或者は歯医者の零落《おちぶれ》の如く、或者は非番巡査の如く、また或者は浪花節《なにわぶし》語りの如く、壮士役者の馬の足の如く、その外見は千差万様なれども、その褌《ふんどし》の汚さ加減はいずれもさぞやと察せられるものばかりである。彼らはまた己れが思想の伴侶たるべき机上の文房具に対しても何らの興味も愛好心もなく、卑俗の商人が売捌《うりさば》く非美術的の意匠を以て、更に意とする処がない。彼らは単に己れの居室を不潔乱雑にしている位ならまだしもの事である。公衆のために設けられたる料理屋の座
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