て、遂には浮瀬《うかむせ》がなくなる。」というかも知れぬ。もし浮瀬なく、強い者のために沈められ、滅《ほろぼ》されてしまうものであったならば、それはいわゆる月に村雲《むらくも》、花に嵐の風情《ふぜい》。弱きを滅す強き者の下賤《げせん》にして無礼野蛮なる事を証明すると共に、滅される弱き者のいかほど上品で美麗であるかを証明するのみである。自己を下賤醜悪にしてまで存在を続けて行く必要が何処にあろう。潔《いさぎ》よく落花の雪となって消《きゆ》るに如《し》くはない。何に限らず正当なる権利を正当なりなぞと主張する如きは聞いた風《ふう》な屁理窟《へりくつ》を楯《たて》にするようで、実に三百代言的《さんびゃくだいげんてき》、新聞屋的、田舎議員的ではないか。それよりか、身に覚えなき罪科《つみとが》も何の明しの立てようなく哀れ刑場の露と消え……なんテいう方が、何となく東洋的なる固有の残忍非道な思いをさせてかえって痛快ではないか。青山原宿あたりの見掛けばかり門構えの立派な貸家の二階で、勧工場式《かんこうばしき》の椅子テーブルの小道具よろしく、女子大学出身の細君が鼠色になったパクパクな足袋《たび》をはいて、夫の
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