おぐし》という単語さえもがわれわれの情緒《じょうしょ》を動かすにどれだけ強い力があるか。其処《そこ》へ行くと哀れや、色さまざまのリボン美しといえども、ダイヤモンド入りのハイカラ櫛立派なりといえども、それらの物の形と物の色よりして、新時代の女子の生活が芸術的幻想を誘起し得るまでには、まだまだ多くの年月《ねんげつ》を経た後《のち》でなければならぬ。新時代の芸術の力をもっともっと沢山に借りた揚句《あげく》の果でなければならぬ。然《しか》るに已に完成しおわった江戸芸術によって、溢《あふ》るるまでその内容の生命を豊富にされたかかる下町の女の立居振舞《たちいふるま》いには、敢《あえ》て化粧の時の姿に限らない。春雨《はるさめ》の格子戸《こうしど》に渋《しぶ》蛇《じゃ》の目《め》開《ひら》きかける様子といい、長火鉢の向うに長煙管取り上げる手付きといい、物思う夕まぐれ襟《えり》に埋《うず》める頤《おとがい》といい、さては唯《ただ》風に吹かれる髪の毛の一筋、そら解《ど》けの帯の端《はし》にさえ、いうばかりなき風情《ふぜい》が生ずる。「ふぜい」とは何ぞ。芸術的洗練を経たる空想家の心にのみ味わるべき、言語にい
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