えているものの、女はこの長々しい熱心な手芸の間《あいだ》、黙ってぼんやり男を退屈さして置くものでは決してない。またの逢瀬《おうせ》の約束やら、これから外《ほか》の座敷へ行く辛《つら》さやら、とにかく寸鉄《すんてつ》人を殺すべき片言隻語《へんげんせきご》は、かえって自在に有力に、この忙しい手芸の間に乱発されやすいのである。先生は芝居の桟敷《さじき》にいる最中といえども、女が折々思出したように顔を斜めに浮かして、丁度仏画の人物の如く綺麗にそろえた指の平《ひら》で絶えず鬢《びん》の形を気にする有様をも見逃さない。さればいよいよ湯上りの両肌《りょうはだ》脱ぎ、家《うち》が潰《つぶ》れようが地面が裂けようが、われ関《かん》せず焉《えん》という有様、身も魂も打込んで鏡に向う姿に至っては、先生は全くこれこそ、日本の女の最も女らしい形容を示す時であると思うのである。幾世紀の洗練を経たる Alexandrine《アレキサンドリン》 十二音の詩句を以て、自在にミュッセをして巴里娘《パリイむすめ》の踊の裾《すそ》を歌わしめよ。われにはまた来歴ある一中節《いっちゅうぶし》の『黒髪』がある。黄楊《つげ》の小櫛《
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