もいえない悲壮の神秘が潜《ひそ》んでいると断言しているのである。冬の闇夜《やみよ》に悪病を負う辻君《つじぎみ》が人を呼ぶ声の傷《いたま》しさは、直ちにこれ、罪障深き人類の止《や》みがたき真正《まこと》の嘆きではあるまいか。仏蘭西《フランス》の詩人 Marcel《マルセル》 Schwob《シュオッブ》 はわれわれが悲しみの淵に沈んでいる瞬間にのみ、唯の一夜、唯の一度われわれの目の前に現われて来るという辻君。二度巡り会おうとしても最《も》う会う事の出来ないという神秘なる辻君の事を書いた。「あの女たちはいつまでもわれわれの傍《そば》にいるものではない。あまりに悲しい身の上の恥かしく、長く留《とどま》っているに堪えられないからである。あの女たちはわれわれが涙に暮れているのを見ればこそ、面と向ってわれわれの顔を見上げる勇気があるのだ。われわれはあの女たちを哀れと思う時にのみ、彼女《かのおんな》たちを了解し得るのだ。」といっている。近松の心中物《しんじゅうもの》を見ても分るではないか。傾城《けいせい》の誠が金で面《つら》を張る圧制な大尽《だいじん》に解釈されようはずはない。変る夜ごとの枕に泣く売春
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