りもむしろ退《しりぞ》いて隠れるに如《し》くはないと思ったからである。何も彼《か》も時世時節《ときよじせつ》ならば是非もないというような川柳式《せんりゅうしき》のあきらめが、遺伝的に彼の精神を訓練さしていたからである。身過《みす》ぎ世過《よす》ぎならば洋服も着よう。生れ落ちてから畳の上に両足を折曲《おりま》げて育った揉《ねじ》れた身体《からだ》にも、当節の流行とあれば、直立した国の人たちの着る洋服も臆面《おくめん》なく採用しよう。用があれば停電しがちの電車にも乗ろう。自動車にも乗ろう。園遊会にも行こう。浪花節《なにわぶし》も聞こう。女優の鞦韆《ぶらんこ》も下からのぞこう。沙翁劇《さおうげき》も見よう。洋楽入りの長唄《ながうた》も聞こう。頼まれれば小説も書こう。粗悪な紙に誤植だらけの印刷も結構至極と喜ぼう。それに対する粗忽干万《そこつせんばん》なジゥルナリズムの批評も聞こう。同業者の誼《よし》みにあんまり黙っていても悪いようなら議論のお相手もしよう。けれども要するに、それはみんな身過ぎ世過ぎである。川竹の憂き身をかこつ哥沢《うたざわ》の糸より細き筆の命毛《いのちげ》を渡世《とせい》にする
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