想《れんそう》させるような、上等ならば紫檀《したん》、安ものならばニス塗の食卓を用いる事を許さないので、長火鉢の向うへ持出されるのは、古びて剥《は》げてはいれど、やや大形の猫足《ねこあし》の塗膳であった。先生は最初感情の動くがままに小説を書いて出版するや否や、忽《たちま》ち内務省からは風俗壊乱、発売禁止、本屋からは損害賠償の手詰《てづめ》の談判、さて文壇からは引続き歓楽に哀傷に、放蕩に追憶と、身に引受けた看板の瑕《きず》に等しき悪名《あくみょう》が、今はもっけ[#「もっけ」に傍点]の幸《さいわい》に、高等遊民不良少年をお顧客《とくい》の文芸雑誌で飯を喰う売文の奴《やっこ》とまで成り下《さが》ってしまったが、さすがに筋目正しい血筋の昔を忘れぬためか、あるいはまた、あらゆる芸術の放胆自由の限りを欲する中《なか》にも、自然と備《そなわ》る貴族的なる形の端麗、古典的なる線の明晰を望む先生一流の芸術的主張が、知らず知らず些細《ささい》なる常住坐臥《じょうじゅうざが》の間《あいだ》に現われるためであろうか。(そは作者の知る処に非《あら》ず。)とにかく珍々先生は食事の膳につく前には必ず衣紋《えもん》を正し角帯《かくおび》のゆるみを締直《しめなお》し、縁側《えんがわ》に出て手を清めてから、折々窮屈そうに膝を崩す事はあっても、決して胡坐《あぐら》をかいたり毛脛《けずね》を出したりする事はない。食事の時、仏蘭西人《フランスじん》が極《きま》って Serviette《セルヴィエット》 を頤《おとがい》の下から涎掛《よだれかけ》のように広げて掛けると同じく、先生は必ず三《み》ツ折《おり》にした懐中の手拭を膝の上に置き、お妾がお酌する盃《さかずき》を一嘗《ひとな》めしつつ徐《おもむろ》に膳の上を眺める。
小《ちいさ》な汚《きたなら》しい桶《おけ》のままに海鼠腸《このわた》が載っている。小皿の上に三片《みきれ》ばかり赤味がかった松脂《まつやに》見たようなもののあるのは※[#「魚+鑞のつくり」、第4水準2−93−92]《からすみ》である。千住《せんじゅ》の名産|寒鮒《かんぶな》の雀焼に川海老《かわえび》の串焼《くしやき》と今戸《いまど》名物の甘い甘い柚味噌《ゆずみそ》は、お茶漬《ちゃづけ》の時お妾が大好物《だいこうぶつ》のなくてはならぬ品物である。先生は汚らしい桶の蓋《ふた》を静に取って、下痢
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