《げり》した人糞のような色を呈した海鼠《なまこ》の腸《はらわた》をば、杉箸《すぎばし》の先ですくい上げると長く糸のようにつながって、なかなか切れないのを、気長に幾度《いくたび》となくすくっては落し、落してはまたすくい上げて、丁度|好加減《いいかげん》の長さになるのを待って、傍《かたわら》の小皿に移し、再び丁寧に蓋をした後、やや暫くの間は口をも付けずに唯《ただ》恍惚として荒海の磯臭い薫《かお》りをのみかいでいた。先生は海鼠腸《このわた》のこの匂といい色といいまたその汚しい桶といい、凡《すべ》て何らの修飾をも調理をも出来得るかぎりの人為的技巧を加味せざる(少くとも表示せざる)天然野生の粗暴が陶器|漆器《しっき》などの食器に盛《もら》れている料理の真中に出しゃばって、茲《ここ》に何ともいえない大胆な意外な不調和を見せている処に、いわゆる雅致と称《となえ》る極めてパラドックサルな美感の満足を感じて止まなかったからである。由来この種の雅致は或一派の愛国主義者をして断言せしむれば、日本人独特固有の趣味とまで解釈されている位で、室内装飾の一例を以てしても、床柱《とこばしら》には必ず皮のついたままの天然木《てんねんぼく》を用いたり花を活《い》けるに切り放した青竹の筒《つつ》を以てするなどは、なるほど Rococo《ロココ》 式にも Empire《アンピイル》 式にもないようである。しかしこの議論はいつも或る条件をつけて或程度に押留《おしとど》めて置かなければならぬ。あんまりお調子づいて、この論法一点張りで東西文明の比較論を進めて行くと、些細な特種の実例を上げる必要なくいわゆる Maison《メイゾン》 de《ド》 Papier《パピエー》(紙の家)に住んで畳の上に夏は昆虫類と同棲する日本の生活全体が、何よりの雅致になってしまうからである。珍々先生はこんな事を考えるのでもなく考えながら、多年の食道楽《くいどうらく》のために病的過敏となった舌の先で、苦味《にが》いとも辛《から》いとも酸《すっぱ》いとも、到底|一言《ひとこと》ではいい現し方のないこの奇妙な食物の味《あじわい》を吟味して楽しむにつけ、国の東西時の古今を論ぜず文明の極致に沈湎《ちんめん》した人間は、是非にもこういう食物を愛好するようになってしまわなければならぬ。芸術は遂に国家と相容れざるに至って初めて尊《たっと》く、食物は衛
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