強《しい》られるがままに、厭《いや》な男にも我慢して身をまかした。いやな男への屈従からは忽《たちま》ち間夫《まぶ》という秘密の快楽を覚えた。多くの人の玩弄物《もてあそびもの》になると同時に、多くの人を弄んで、浮きつ沈みつ定めなき不徳と淫蕩《いんとう》の生涯の、その果《はて》がこの河添いの妾宅に余生を送る事になったのである。深川《ふかがわ》の湿地に生れて吉原《よしわら》の水に育ったので、顔の色は生れつき浅黒い。一度髪の毛がすっかり抜けた事があるそうだ。酒を飲み過ぎて血を吐いた事があるそうだ。それから身体《からだ》が生れ代ったように丈夫になって、中音《ちゅうおん》の音声《のど》に意気な錆《さび》が出来た。時々頭が痛むといっては顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》へ即功紙《そっこうし》を張っているものの今では滅多に風邪《かぜ》を引くこともない。突然お腹《なか》へ差込《さしこ》みが来るなどと大騒ぎをするかと思うと、納豆《なっとう》にお茶漬を三杯もかき込んで平然としている。お参りに出かける外《ほか》、芝居へも寄席《よせ》へも一向《いっこう》に行きたがらない。朝寝が好きで、髪を直すに時間を惜しまず、男を相手に卑陋《びろう》な冗談をいって夜ふかしをするのが好きであるが、その割には世帯持《しょたいもち》がよく、借金のいい訳がなかなか巧《うま》い。年は二十五、六、この社会の女にしか見られないその浅黒い顔の色の、妙に滑《すべ》っこく磨き込まれている様子は、丁度多くの人手にかかって丁寧に拭き込まれた桐の手あぶりの光沢《つや》に等しく、いつも重そうな瞼《まぶた》の下に、夢を見ているようなその眼色《めいろ》には、照りもせず曇りも果てぬ晩春の空のいい知れぬ沈滞の味が宿っている――とでもいいたい位に先生は思っているのである。実際今の世の中に、この珍々先生ほど芸者の好きな人、賤業婦の病的美に対して賞讃の声を惜しまない人は恐らくあるまい。彼は何故《なにゆえ》に賤業婦を愛するかという理由を自《みずか》ら解釈して、道徳的及び芸術的の二条に分った。道徳的にはかつて『見果《みは》てぬ夢』という短篇小説中にも書いた通り、特種の時代とその制度の下《もと》に発生した花柳界全体は、最初から明白《あからさま》に虚偽を標榜しているだけに、その中《うち》にはかえって虚偽ならざるもののある事を嬉しく思うの
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