であった。つまり正当なる社会の偽善を憎む精神の変調が、幾多の無理な訓練修養の結果によって、かかる不正暗黒の方面に一条の血路を開いて、茲《ここ》に僅なる満足を得ようとしたものと見て差支《さしつかえ》ない。あるいはまたあまりに枯淡なる典型に陥《おちい》り過ぎてかえって真情の潤《うるお》いに乏しくなった古来の道徳に対する反感から、わざと悪徳不正を迎えて一時の快哉《かいさい》を呼ぶものとも見られる。要するに厭世的なるかかる詭弁的《きべんてき》精神の傾向は破壊的なるロマンチズムの主張から生じた一種の病弊である事は、彼自身もよく承知しているのである。承知していながら、決して改悛《かいしゅん》する必要がないと思うほど、この病弊を芸術的に崇拝しているのである。されば賤業婦の美を論ずるには、極端に流れたる近世の芸術観を以てするより外はない。理性にも同情にも訴うるのでなく、唯《ただ》過敏なる感覚をのみ基礎として近世の極端なる芸術を鑑賞し得ない人は、彼からいえば到底縁なき衆生《しゅじょう》であるのだ。女の嫌いな人に強《しい》て女の美を説き教える必要はない。酒に害あるはいわずと知れた話である。然《しか》もその害毒を恐れざる多少の覚悟と勇気とがあって、初めて酒の徳を知り得るのである。伝聞《きくなら》く北米合衆国においては亜米利加印甸人《アメリカインデアン》に対して絶対に火酒《ウイスキー》を売る事を禁ずるは、印甸人の一度《ひとたび》酔えば忽《たちま》ち狂暴なる野獣と変ずるがためである。印甸人の神経は浅酌微酔の文明的訓練なきがためである。修養されたる感覚の快楽を知らざる原始的健全なる某帝国の社会においては、婦人の裸体画を以て直《ただち》に国民の風俗を壊乱するものと認めた。南|阿弗利加《アフリカ》の黒奴《こくど》は獣《けもの》の如く口を開いて哄笑《こうしょう》する事を知っているが、声もなく言葉にも出さぬ美しい微笑《ほほえみ》によって、いうにいわれぬ複雑な内心の感情を表白する術《じゅつ》を知らないそうである。健全なる某帝国の法律が恋愛と婦人に関する一切の芸術をポルノグラフィイと見なすのも思えば無理もない次第である――議論が思わず岐路《わきみち》へそれた――妾宅の主人たる珍々先生はかくの如くに社会の輿論《よろん》の極端にも厳格枯淡偏狭単一なるに反して、これはまた極端に、凡そ売色という一切の行動には何と
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