しまった飯のようなものである。飯が消化せられて生きた汁になって、それから先の生活の土台になるとおりに、過去の生活は現在の生活の本《もと》になっている。またこれから先の、未来の生活の本になるだろう。しかし生活しているものは、殊に体が丈夫で生活しているものは、誰も食ってしまった飯の事を考えている余裕はない。」と言われている。全くその通りである。
いま現在の生活からその土台になっている過去の生活を正確に顧みて、これを誤りなく記述する事は容易でない。糞尿《ふんにょう》を分析すれば飲食した物の何であったかはこれを知ることが出来るが、食った刹那《せつな》の香味に至っては、これを語って人をして垂涎《すいぜん》三尺たらしむるには、優れたる弁舌が入用になるわけである。そして、わたくしにはこの弁舌がないのであった。
[#地から2字上げ]乙亥《いつがい》正月記
底本:「荷風随筆集(下)」岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年11月17日第1刷発行
2007(平成19)年7月13日第23刷発行
底本の親本:「荷風随筆 一〜五」岩波書店
1981(昭和56)年11月〜1982(昭和
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