と莫《なか》れと説くのは、廃物利用の法を知らしむる老婆心に他ならぬのである。
 往時、劇場の作者部屋にあっては、始めて狂言作者の事務を見習わんとするものあれば、古参の作者は書抜の書き方を教ゆるに先だって、まず見習をして観世捻《かんぜより》をよらしめた。拍子木《ひょうしぎ》の打方を教うるが如きはその後のことである。わたしはこれを陋習《ろうしゅう》となして嘲《あざけ》った事もあったが、今にして思えばこれ当然の順序というべきである。観世捻をよる事を知らざれば紙を綴《と》ずることができない。紙を綴ることを知らざれば書抜を書くも用をなさぬわけである。事をなすに当って設備の道を講ずるは毫《ごう》も怪しむに当らない。或人の話に現時|操觚《そうこ》を業となすものにして、その草稿に日本紙を用うるは生田葵山《いくたきざん》子とわたしとの二人のみだという。亡友|唖々《ああ》子もまたかつて万年筆を手にしたことがなかった。
 千朶山房《せんださんぼう》の草稿もその晩年『明星』に寄せられたものを見るに無罫《むけい》の半紙《はんし》に毛筆をもって楷行を交えたる書体、清勁暢達《せいけいちょうたつ》、直にその文を思わし
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