《とも》にする作家でなければならない。
江戸時代にあって、為永春水《ためながしゅんすい》その年五十を越えて『梅見の船』を脱稿し、柳亭種彦《りゅうていたねひこ》六十に至ってなお『田舎源氏』の艶史を作るに倦《う》まなかったのは、啻《ただ》にその文辞の才|能《よ》くこれをなさしめたばかりではなかろう。
四
築地本願寺畔の僑居《きょうきょ》に稿を起したわたしの長篇小説はかくの如くして、遂に煙管《キセル》の脂《やに》を拭う反古《ほご》となるより外、何の用をもなさぬものとなった。
しかしわたしはこれがために幾多の日子《にっし》と紙料とを徒費したことを悔《く》いていない。わたしは平生《へいぜい》草稿をつくるに必ず石州製の生紙《きがみ》を選んで用いている。西洋紙にあらざるわたしの草稿は、反古となせば家の塵《ちり》を掃《はら》うはたきを作るによろしく、揉《も》み柔《やわら》げて厠《かわや》に持ち行けば浅草紙《あさくさがみ》にまさること数等である。ここに至って反古の有用、間文字《かんもじ》を羅列したる草稿の比ではない。
わたしは平生文学を志すものに向って西洋紙と万年筆とを用うるこ
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