たしの眼底には既に動しがたき定見がある。定見とは伝習の道徳観と並に審美観とである。これを破却するは曠世《こうせい》の天才にして初めて為し得るのである。
 わたしの眼に映じた新らしき女の生活は、あたかも婦人雑誌の表紙に見る石版摺《せきばんずり》の彩色画と殆《ほとんど》撰ぶところなきものであった。新しき女の持っている情緒は、夜店の賑《にぎわ》う郊外の新開町に立って苦学生の弾奏して銭を乞うヴァイオリンの唱歌を聞くに等しきものであった。
 小春治兵衛《こはるじへえ》の情事を語るに最も適したものは大阪の浄瑠璃である。浦里時次郎《うらざとときじろう》の艶事を伝うるに最《もっとも》適したものは江戸の浄瑠璃である。マスカニの歌劇は必《かならず》伊太利亜《イタリア》語を以て為されなければなるまい。
 然らば当今の女子、その身には窓掛に見るような染模様の羽織を引掛け、髪は大黒頭巾《だいとくずきん》を冠《かぶ》ったような耳隠しの束髪に結《ゆ》い、手には茄章魚《ゆでだこ》をぶらさげたようなハンドバッグを携え歩む姿を写し来って、宛然《さながら》生けるが如くならしむるものはけだしそのモデルと時代を同じくし感情を倶
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