ない。わたしは既に帝国劇場の開かれてより十星霜を経たことを言った。今日この劇場内外の空気の果して時代の趨勢を観察するに足るものであったか否か。これまた各自の見るところに任すより外はない。
 わたしは筆を中途に捨てたわが長編小説中のモデルを、しばしば帝国劇場に演ぜられた西洋オペラまたはコンセールの聴衆の中に索《もと》めようと力《つと》めた。また有楽座に開演せられる翻訳劇の観客に対しては特に精細なる注意をなした。わたしは漸《ようや》くにして現代の婦人の操履《そうり》についてやや知る事を得たような心持になった。それと共にわたしはいよいよわが制作の困難なることを知ったのである。およそ芸術の制作には観察と同情が必要である。描かんとする人物に対して、著作者の同情深厚ならざるときはその制作は必ず潤《うるお》いなき諷刺に堕《お》ち、小説中の人物は、唯作者の提供する問題の傀儡《かいらい》たるに畢《おわ》るのである。わたしの新しき女を見て纔《わずか》に興を催し得たのは、自家の辛辣《しんらつ》なる観察を娯《たの》しむに止《とどま》って、到底その上に出づるものではない。内心より同情を催す事は不可能であった。わ
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