の盃《さかずき》を挙げた。ここにおいて飛耳長目《ひじちょうもく》の徒は忽ちわが身辺を揣摩《しま》して艶事《つやごと》あるものとなした。
巴里《パリー》輸入の絵葉書に見るが如き書割裏の情事の、果してわが身辺に起り得たか否かは、これまたここに語る必要があるまい。わたしの敢えて語らんと欲するのは、帝国劇場の女優を中介にして、わたしは聊《いささか》現代の空気に触れようと冀《こいねが》ったことである。久しく薗八一中節《そのはちいっちゅうぶし》の如き古曲をのみ喜び聴いていたわたしは、褊狭《へんきょう》なる自家の旧趣味を棄てて後《おく》れ走《ば》せながら時代の新俚謡《しんりよう》に耳を傾けようと思ったのである。わたしは果してわたしの望むが如くに、唐桟縞《とうざんじま》の旧衣を脱して結城紬《ゆうきつむぎ》の新様《しんよう》に追随する事ができたであろうか。
現代思潮の変遷はその迅速なること奔流《ほんりゅう》もただならない。旦《あした》に見て斬新となすもの夕《ゆうべ》には既に陳腐となっている。槿花《きんか》の栄《えい》、秋扇《しゅうせん》の嘆《たん》、今は決して宮詩をつくる詩人の間文字《かんもじ》では
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