できるのだと、車の中で父が語られた。
 昭和の日本人は秋晴れの日、山に遊ぶことを言うにハイキングとやら称する亜米利加《アメリカ》語を用いているが、わたくしの如き頑民に言わせると、古来慣用せられた登高《とうこう》の一語で足りている。
 その年陰暦九月十三夜が陽暦のいつの日に当っていたか、わたくしは記憶していない。しかしたまたまこの稿を草するに当って、思い出したのは或夜父が晩餐の後、その書斎で雑談しておられた時、今夜は十三夜だと言って、即興の詩一篇を示された事である。その詩は父の遺稿に、
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蘆花如雪雁声寒  〔蘆花《ろか》は雪の如く 雁《かり》の声は寒し
把酒南楼夜欲残   南楼《なんろう》に酒を把《と》り 夜《よる》残《のこ》らんと欲《ほっ》す
四口一家固是客   四口《しこう》の一家《いっか》は固《もと》より是《こ》れ客なり
天涯倶見月団欒   天涯《てんがい》に倶《とも》に見る月も団欒《だんらん》す〕
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としている。
 わたくしはこのまま長く上海に留《とどま》って、適当な学校を見つけて就学したいと思った。東京に帰ればやがて徴兵検査も受けな
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