ければならず。また高等学校にでも入学すれば柔術や何かをやらなければならない。わたくしにはそれが何よりもいやでならなかったのである。しかしわたくしの望みは許されなかった。そしてその年の冬、母の帰京すると共に、わたくしもまた船に乗った。公園に馬車を駆《か》る支那美人の簪《かざし》にも既に菊の花を見なくなった頃であった。
 凡ては三十六、七年むかしの夢となった。歳月人を俟《ま》たず、匆々《そうそう》として過ぎ去ることは誠に東坡《とうば》が言うが如く、「惆悵《ちゅうちょう》す東欄一樹の雪。人生看るを得るは幾清明《いくせいめい》ぞ。」である。
[#地から2字上げ]甲戌十月記



底本:「荷風随筆集(下)」岩波文庫、岩波書店
   1986(昭和61)年11月17日第1刷発行
   2007(平成19)年7月13日第23刷発行
底本の親本:「荷風随筆 一〜五」岩波書店
   1981(昭和56)年11月〜1982(昭和57)年3月
※「漢詩文の訓読は蜂屋邦夫氏を煩わした。」旨の記載が、底本の編集付記にあります。
入力:門田裕志
校正:阿部哲也
2010年3月8日作成
2010年6月1日修正
青空
前へ 次へ
全11ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
永井 荷風 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング