ながら街上を練り行く道台《トウタイ》の行列に出遇った。また或日の夕方には、大声に泣きながら歩く女の列を先駆にした葬式の行列に出遇って、その奇異なる風俗に眼《まなこ》を見張った。張園の木《こ》の間《ま》に桂花を簪《かざし》にした支那美人が幾輛となく馬車を走らせる光景。また、古びた徐園の廻廊に懸けられた聯句《れんく》の書体。薄暗いその中庭に咲いている秋花のさびしさ。また劇場や茶館の連《つらな》った四馬路《スマル》の賑《にぎわ》い。それらを見るに及んで、異国の色彩に対する感激はますます烈しくなった。
大正二年革命の起ってより、支那人は清朝《しんちょう》二百年の風俗を改めて、われわれと同じように欧米のものを採用してしまったので、今日の上海には三十余年のむかし、わたくしが目撃したような色彩の美は、最早《もは》や街路の上には存在していないのかも知れない。
当時わたくしは若い美貌の支那人が、辮髪《べんぱつ》の先に長い総《ふさ》のついた絹糸を編み込んで、歩くたびにその総の先が繻子《しゅす》の靴の真白な踵《かかと》に触れて動くようにしているのを見て、いかにも優美|繊巧《せんこう》なる風俗だと思った。
前へ
次へ
全11ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
永井 荷風 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング